日本格闘技の歴史

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◆What is Jiu−Jitsu?(柔術って、なに?)◆

あなたは、『柔術』と聞くと何を連想しますか?


多少、格闘技に興味ある方は『グレイシー柔術』あるいは『ブラジリアン柔術』などを
思い浮かべるのでは無いでしょうか?


海外では『Jiu−Jitsu』として有名ですが、この名称の原形は『柔術』です。
当然日本の漢字ですから『柔術』発祥の地は日本です。


◆『柔術』の目的は?◆
日本の柔術の発祥はおよそ400年前、戦国時代に戦場で使用するための素手格闘術の
総称として『柔術』と呼ばれています。


つまり戦場で相手を殺す、あるいは無力化することを目的とした武術・・・それが『柔術』の原点です。


また、『柔術』には多くの流派がありますが、その源流は竹内流だと言われています。


◆武術から武道へ◆
江戸時代に入り、天下太平の世の中になると各藩の大名は柔術家をお抱えの武術指南役として
雇っていました。


この時期に柔術の流派が増殖したのでは・・・・と僕は考えます。


約260年後、大政奉還により江戸幕府が崩壊し明治時代へ入ってから各藩に柔術指南役として
雇われていた柔術家たちは現代風に言うとリストラに遭いました。


それまで各流派の術は門外不出で、まるで『北斗の拳』のようなものでした。


しかしその後、各流派の柔術家たちは現在の水道橋周辺に柔術道場を次々と開き広く一般に
柔術の指導を行うようになりました。


その時期が『武術』から『武道』へのターニングポイントだったのです。
ここから柔術と言う武術が形を変え武道へ進化の歴史が始まるのです。


☆『術』と『道』の違いってなに?☆
  この違いを説明するのってすごく難しいことですね!
  あなたは『わび』と『さび』の違いを説明できますか?(笑)
  
  僕は次のようにぼんやりと理解しています。

  『術』:目的

  『道』:手段

  たとえば

  『柔術』とは相手を殺す、あるいは無力化することを目的としたもの

  『柔道』とは技を学ぶと同時に精神的なもの・天下の大道を学ぶための手段


  もっとわかり易い説明がありましたら管理人までご連絡くださいね!よろしくお願い致します。


◆現代武道のお母さん・・・『柔術』◆
明治時代に広く一般に開放された柔術道場で修行していた人たちの中から武道として柔道・
合気道・日本拳法などが生みだされました。


柔道は嘉納治五郎が起倒流・天神真楊流などを元に投げ技を専門化し講道館柔道を設立しました。


詳しくは柔道の基礎知識をご覧下さい。


ちなみに柔道の寝技を専門化したものが高専柔道と呼ばれるものです。


合気道は植芝盛平が大東流・起倒流・柳生心眼流などを元に対武器術・対複数相手の
(組み付かれる前の状態での)投げ技・関節技技法を専門化したものです。


日本拳法は柔道家の澤山宗海が柔術と空手をもとに当身と当身から投げ技への変化の技法を
専門化したものです。


またこの日本拳法は現在の総合格闘技に最も近いと言われている武道です。
詳しくは
総合格闘技の基礎知識をご覧下さい。


『柔術』は柔道・合気道・日本拳法のお母さんに当たる訳です。
つまり、柔道・合気道・日本拳法は『柔術三兄弟』なのです。


ちなみに空手(正式には空手道)は、沖縄で発祥し日本で発展した手足で打撃をする武道のことです。


沖縄から伝わったときは「唐手」と称されていましたが、その後「空手」と改称され現在に
至っています。


詳しくは
空手の基礎知識をご覧下さい。


最近では『柔術』といえば、プライド等の総合格闘技で良く観るブラジルで発展したグレイシー柔術や
ブラジリアン柔術のことだと思っている方も多いようです。


※ 空手などを学ぶ方の中にも、柔術=ブラジリアン柔術=寝技と思っている方もいるようです。


そのため、本来、日本の柔術を指すときには「古流柔術」という呼び方をして区別することも
あるようです。


いわゆるブラジリアン柔術は直接的に古流柔術の流れを汲むものではなく、明治時代に世界に
広まった柔道の子孫(つまり日本の柔術の孫に当たる訳ですね!)であり、道よりも術に重点を
置くという意思表明として柔術を標榜していると言われています。


それでは、なぜ柔術という名で日本からブラジルへ渡ったのか?
その歴史的背景にについては
柔術の基礎知識をご覧下さい。


◆プロレス〜異種格闘技戦〜そして総合格闘技へ◆


1970年〜1980年代:『プロレス』=『格闘技』の時代


現在の格闘技ファンには理解できないかも
しれませんが、かつては『格闘技』と言えば
イコール『プロレス』だった時代が
あったんですよ!


すると当然、最強の『格闘技』とは何か?
と日夜、格闘技ファンは議論していました。






「空手が最強だ!」「ボクシングの方が強いんじゃないか?」等々・・・・


そんな格闘技ファンの気持ちを汲んでくれたのが『燃える闘魂!アントニオ猪木』なんです。


異種格闘技戦と称しアントニオ猪木は1976年2月に柔道家のウイリアム・ルスカ戦を皮切りに
ボクシングのモハメッド・アリ、マーシャルアーツのザ・モンスターマン、極真空手の
ウィリー・ウイリアムスと試合をしました。


現在の格闘技ファンが観たらキワモノ格闘技に思うかもしれませんが・・・・


まぁ、全勝ではなかったけれど僕は、大満足でした。


その後、1980年代に入るとプロレス界はある意味で黄金時代に突入します。


『タイガーマスク』というスターレスラーが登場したのです。




老若男女を巻き込み日本中が湧き上がっていました・・・懐かしいなぁ〜


そして長州力と藤波辰巳など日本人同士の試合が頻繁に行なわれるようになり新日本プロレス中継
毎週金曜日の午後8:00のゴールデンタイムに放送され視聴率も20%以上だったそうです。


それに追随するように全日本プロレスも元横綱・輪島のプロレス転向などの話題もあり
毎週土曜日の午後7:00のゴールデンタイムに放送されていました。


しかし、80年代後半になると新日本プロレスを脱退した選手たちが前田明を中心にして
プロレス団体『新生UWF』としてスタートします。


ちなみに現PRIDE統括本部長の高田延彦氏は『新生UWF』の設立メンバーの一人でした。


また同時期にタイガーマスクこと佐山聡氏が新格闘技『シューティング』(現・修斗)を創始しました。


この『シューティング』が1990年代に入り日本の総合格闘技ブームへ多大なる貢献を
果たすのです。


その時期、日本がバブル経済の崩壊により歴史的なターニングポイントを迎えていたように
プロレス界にもターニングポイントが訪れていたような気がします。


≪1990年代:衝撃!そして総合格闘技へ≫
1991年に『新生UWF』が突然解散をしてしまいます。


そこから『新生UWF』のメンバーがそれぞれ団体を設立していく訳ですね!俗に言う、『U系』です。


『藤原組』『リングス』『Uインター』『パンクラス』『キングダム』等々・・・


これら『U系』の特徴は勝敗に絶対的なこだわりを持ち従来のプロレスよりも現在の総合格闘技寄りの
スタンスを貫いていました。


ガチンコのストロングプロレスって感じだったかなぁ〜


しかし1993年11月にアメリカで格闘技界を揺るがす歴史的大事件が起きました。


※ ちなみに打撃に特化した『K−1』がスタートしたのはこの頃です。


その歴史的大事件の舞台はオクタゴンと呼ばれる8角形の金網で囲まれていました。




まるで当時大流行していた格闘ゲーム『ストリートファイター』を現実化したような舞台で
究極のルールにより異種格闘技トーナメントが行なわれました。


その『究極のルール』とは?


制限時間なし、ラウンド制なし、ブレイクなし、グローブなし(つまり素手)


反則は目潰し・噛み付き・金的攻撃のみ



という『究極のルール』というよりは、もうルールが無いに等しい!という表現がピッタリです。


※ 金的攻撃を反則としたのも第一回大会のみで第二回大会からは有効となった。(痛っ!)


これには、世界中の格闘技ファン達だけでなく世界中の格闘家も度肝を抜かれたのでは
ないのでしょうか?


この究極のルールはあらゆる格闘技の攻撃が有効とする平等なルールとされ最強の格闘技を
決めるのに相応しいルールと謳っていた・・・・


確かにそうだ!


これはブラジルで行われていたポルトガル語で「何でもあり」を意味する『バーリトゥード
(Vale−Tudo)』と言われるルールです。


これが伝説と言っても全然過言でない第1回アルティメット大会と呼ばれるものです。


つまり『UFC』(アルディメット・ファイティング・チャンピオンシップ) の歴史の始まりだったのです。


その第一回大会の出場選手は以下の通りです・・・・


ホイス・グレイシー(グレイシー柔術)

アート・ジマーソン(ボクシング)

ジェラルド・ゴルドー (サバット)

ティラ・トュリ(相撲)

ケン・シャムロック (パンクラス)

パトリック・スミス(テコンドー)

ケビン・ローズイヤー(キックボクシング)

ジーン・フレジャー (拳法・空手)


僕はこのUFCの第一回大会を当時、テレビ朝日「リングの魂」という番組で観ました。


金網の中で展開するストリートファイトを思わせる異様で猥雑な雰囲気にタダッ!タダッ!
圧倒されました。


ボクシングをバックボーンとするアート・ジマーソンなんか、左手にボクシンググローブ・右手は
素手という奇妙なスタイルだった・・・・


すっ、凄過ぎる!


しかし、それ以上にぶっ飛んだのは柔道着(実際は柔術着だった!)を身にまとったヒョロッとして
小柄な選手がバッタ!バッタ!と大きな選手を倒していった。


その戦い方は、それまで僕が観てきたプロレスとは全く異なるものだった。


バックドロップも無い・コブラツイストも無い・四の字固めも無い・・・・


寝技に持ち込んでマウントポジション(馬乗り)からボコッ!ボコッ!ハイ、オシマイ!
と言うすごくシンプルな(ある意味で地味な)戦い方だった。


そして、その柔道着(実際は柔術着だった!)をにまとったヒョロッとして小柄な選手が
トーナメントを制してまたまたビックリ!


それまでは、「何でもあり!」なら打撃が最強!みんなそう思っていた時代だったのです。


その選手は『グレイシー柔術』をバックボーンに持つホイス・グレイシーと言う名でした。


僕は、もちろん『グレイシー柔術』と言う格闘技をそれまで聞いたことがありませんでした。


てっきり柔道家だと思っていたので『グレイシー柔術』?△※○☆◇だった。


参考までに、現在PRIDEで活躍しているアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは、この第1回アルティメット
大会でホイス・グレイシーの勝っちぷりを観てブラジリアン柔術を始めたそうです。


1994年の春、第2回アルティメット大会(UFC−2)が開催されホイス・グレイシーは2連覇を
達成します。




この時、日本からは空手家の市原海樹選手(大道塾)が一回戦でホイス・グレイシーと対戦しました。





残念ながら負けてしまいましたが、日本人ではじめてアルティメット
大会に乗り込みグレイシー柔術とはじめて対戦した市原海樹選手には
感動しました。


この第2回アルティメット大会(UFC−2)を完全制覇し
ホイス・グレイシーはグレイシー柔術の強さを世界中に
見せつけました。


そして、優勝した後、そのホイス・グレイシーが衝撃の
ビックリ発言をしました。


「私に勝てるのは、兄のヒクソンしかいない。ヒクソンは僕の10倍強いんだ」


この発言で僕は再度、ぶっ飛びました!アルティメット大会を2連覇したホイス・グレイシーの
『10倍強い人間』がこの世に存在するのか?


ヒクソン・グレイシーとは、


 ・「グレイシー柔術最強の男」と呼ばれるエリオ・グレイシーの三男


 ・バーリトゥード400戦無敗


 ・ホイス・グレイシーの10倍強い


なんともミステリアスな挌闘家である。


≪ヒクソン来襲≫
1994年7月に『グレイシー柔術』が日本へ上陸しました。


実はヒクソンの初来日は1991年前後です。
目的はアントニオ猪木に挑戦するのが目的でしたがその願いは叶わなかった。
その頃はまだグレイシー柔術は無名でしたから・・・・


ヒクソン・グレイシーは修斗が主催した第1回VT(バーリトゥード)・ジャパン・オープンへ
出場しました。




そして3試合すべてオール一本勝ちでトーナメントを制しました。


ヒクソンは身長:178 cm /体重:84 kg と決して体は大きくありませんが、不思議とリング上では
デカく観えましたね!


そして、94年12月にアメリカのロスである歴史的事件が起きました。


94年12月7日、当時『Uインター』所属のプロレスラー安生洋二がロスにあるヒクソンの道場に
出向き道場破りを決行した!


結果は
ヒクソンがタックル→マウント→ボコボコ→チョーク→安生洋二が失神
でした。


この事件が後に、当時日本に於いて最強プロレスを目指していた『U系プロレスラー』と
『グレイシー柔術』のファーストコンタクトでした。


つまり、歴史上、現在の日本総合格闘技の出発点だと僕は今でも思っています。


95年4月には第2回VT(バーリトゥード)・ジャパン・オープンが開催された。
ヒクソンと対戦したのは、すべて日本人だった。


山本宣久・木村浩一郎・中井祐樹


そして、またまたヒクソンは3試合すべてオール一本勝ちでトーナメントを制しました。


≪そして、PRIDEが始まった≫
1997年10月、東京ドームに於いて『PRIDE・1』が開催されました。


当時『U系』最強と言われていた高田延彦とヒクソン・グレイシーの対戦のために用意された
舞台だった。


結果は、4分47秒・腕ひしぎ十字固めでヒクソンの勝利に終わりました。


悪く言えば「あっけない」・よく言えば「シンプル」な試合内容でした。
でもガチンコの格闘技とは、このようなものなのでしょう・・・・


しかし、この対戦が無ければ現在の『PRIDE』は存在しません。


高田延彦氏は現在の日本総合格闘技をメジャーにした立役者です。


※この年の12月に『UFC日本大会』が開催されトーナメントを制したのは、あの桜庭和志でした。


それから、ちょうど一年後の98年10月11日に開催された『PRIDE・4』に於いて
『高田VSヒクソン』の再戦が行なわれた。


結果は9分30秒・腕ひしぎ十字固めで、又もやヒクソンの勝利に終わりました。


残念!『400戦無敗の男』が負けるのを観てみたかった。
そうすれば、歴史の目撃者となったのに・・・・


また現在では『UFC』と『PRIDE』が、ルール変更で整備がなされて、より洗練された試合を
観られるようになっています。


『バーリトゥード(Vale−Tudo)』(なんでもあり)と言うよりは、『MMA(Mixed Martial Arts)』と
呼ぶほうがふさわしいと思います。


やはり、時間無制限では、TV中継に支障がでるし、『バーリトゥード』だと必要以上に血を観ることに
なるし・・・・


※『MMC(Mixed Martial Arts)=総合格闘技
 PRIDEシリーズを主催するDSE(ドリーム・ステージ・エンターテイメント)が商標登録を
 しています。


ヒクソン・グレイシーはその後2000年5月26日に日本で開催された『コロシアム2000』で
船木誠勝と対戦して11分46秒・チョークで一本勝ちをしています。


この試合を機に船木誠勝は引退し、ヒクソンもこれ以降、試合を行なっていません。


現在では毎年大晦日にNHKの紅白歌合戦と方を並べ格闘技がTV中継される時代になりました。




しかし、そこへ辿り着くには勇気ある格闘家たちが多数存在しています。


新日本プロレスを飛び出し『U系』と呼ばれるものを生んだ前田明


総合格闘技の競技としての基盤を確立した修斗の創始者・佐山聡


『PRIDE』という舞台でヒクソン・グレイシーと対戦した高田延彦


この3人を輩出した新日本プロレスのカリスマ・燃える闘魂 アントニオ猪木


そして、この格闘家たちを影で支えた大勢の格闘家たち。


僕は格闘技ファンの1人としてこの格闘家たちにこの場を借りてお礼を言わせて貰います。


「楽しませてくれて、本当にありがとう御座います。感謝しています。」


「格闘技最高!」


最後に、みなさん、格闘技を観て楽しんでください!
そしてチャンスがあれば、あなたも格闘技を体験してみて下さい。


楽しいこと請け合いですよ。

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